開発の経緯

 

 昭和311956)年11月に東海道本線の全線電化が達成、普通列車が電車化された。翌年には準急用の91系電車がデビュー、国鉄も電車の時代を迎えつつあった。

   電車化により客車列車と比較して高速化が実現し、また91系電車の成功で急行以上の上位優等列車も電車化の機運が高まった。

 

 一方、昭和261951)年に航空路線が開設。1等車(3等級制時代は12等車)の乗客が航空機に流れた。

 また昭和30年代に入り、道路の舗装が進むとともに国民車構想や高速道路の建設計画が具体化する。これにより自動車も鉄道の強力なライバルとなっていく。

 フラッグシップ列車である特急・急行列車【当時は特急が存在しない線区が多かった】は航空機や高速道路を走る高性能・高級乗用車との競争を強いられ、庶民的な長距離の足である準急列車も道路舗装や国民車普及の影響を強く受けることが予想された。

 

 上記の事情により、優等列車の競争力を強化する構想が浮上した。「利便性向上」と「快適性向上」の2つが柱である。

 まずは「利便性向上」について述べる。電車・気動車化を行うと客車時代と比較してスピードアップと本数増が実現できる。また同一区間に電車と気動車、あるいは気動車と客車が混在する場合は速い方の停車駅を増やすことで「同じ所要時間で多くの駅に停まる」ことが可能となる。

 次に「快適性向上」である。従来の客車列車は1両単位の増減や差し替えなど柔軟な運用が可能であるが、それにこだわるあまり特急型も一般型と座席定員が揃えられていた【扇風機の設置や、片側1扉とすることによるシートピッチ拡大で差をつける程度であった】。しかし電車化に伴う固定編成化を機に「特別急行」に相応しい車両を造ろうという機運が高まった。

 

   この構想により多くの新型車両が計画されたが、その代表ともいえる車両が151系電車である。

 151系は初の特急型電車であるとともに、国鉄最大の大動脈であるとともにライバルも多い東海道本線を走る電車でもある。それゆえ本形式は、以下のコンセプトに基づく意欲的な車両に仕上がった。

①高速であること

 航空機に対抗するには東京〜大阪7時間30分の客車特急「つばめ」「はと」では遅すぎるとともに日帰りが不可能であり、高級ビジネスユーザーの需要に応えられない。そこで本形式の投入により東京〜大阪6時間30分運転と日帰りダイヤを実現することでビジネス旅客の取り込みを図る。

②快適であること

   電車は客車列車より乗り心地が劣るという固定観念を完全に払拭し、優等列車の電車化における障壁を取り除く。

   また快適な車両の実現により、航空機に奪われた1等車(グリーン車)のシェアを取り戻す。

③新幹線計画に資すること

 国鉄は高速鉄道を計画しており、151系の設計・製造や運転を通じてこの新幹線計画を進行させる。

 高速走行に適した車両を設計することで、試験走行や営業運転を行っていく中で200km/h運転に必要なデータの収集が期待できる。また東京〜大阪3時間運転を想定した編成を組成することなどにより、最新の鉄道に相応しい運行システムの構築を目指す。